足利 いろいろ 紹介
 第4回 鑁阿寺 ばんなじ の紹介 
 今回は、市民から『大日様』と呼ばれ親しまれている鑁阿寺ばんなじを紹介しよう。
鑁阿寺 (ばんなじ)
 鑁阿寺 ばんなじは、正しくは金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と言う。
 鎌倉時代初期の1196年(建久7年)、源姓足利氏2代目義兼が、邸内に持仏堂を
建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりである。
 3代目義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺とした足利氏宅跡である。

 寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルの広大な境内に多くの指定文化財が建ち並び、鎌倉時代の武家屋敷の面影を現代に伝えている。
 1922年(大正11年)国の史跡に指定された。

 源姓足利氏2代目義兼(1154年?ー1199年)について簡単に説明しよう。
 父は、足利義康(足利氏の始祖、新田氏とは同族)。
 母は、尾張熱田大宮司範忠の娘(後に範忠の父・季範の養女)。

 義兼は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の従兄弟に当り、その妻・時子は、北条時政の娘、頼朝の妻・政子の妹である。
 源頼朝の従兄弟に当るということは、その弟・義経の従兄弟でもあるわけだ。

 源頼朝の旗揚げに早くから参陣し、大きな武勇伝はないものの信頼が厚く、妻・時子は、頼朝の薦めであるといわれている。
 1195年、出家、下野国足利庄に隠栖。それが、この鑁阿寺ばんなじの一帯である。

 頼朝の死後、多くの有力な御家人(比企能員・和田義盛・三浦義村など)が滅亡する中を足利氏は、最後まで生き抜き、ついには、ある人物が歴史の表舞台へと台頭。
 義兼より六世後に生まれ、室町幕府を開いた足利尊氏である。
 歴史に名高いこの人物は、生前、この地を何度訪れたであろうか?歴史ファンとしては、興味深いところである。

 この境内には、足利の繊維の歴史を伝える石碑がある。
 鎌倉時代の書物として超有名な兼好法師(吉田兼好)の「徒然草」
 その第216段に、足利の染め物が記されている。この足利の染め物を刻んだ徒然草の石碑が、足利氏顕彰会により境内に建てられている。

 寺域の周囲は、土塁と堀をめぐらしている。
 この堀には、カルガモ・鯉・亀(以前、見たことがある)いる。堀の前の道には、「カルガモの飛び出し注意!」の看板がある。

 また、景色は、春は桜、秋は銀杏の黄葉が素晴らしい。
 年2回、春と秋に大祭があり、地元小中学生の夏休みの「観光絵画」では、必ず、描かれる観光スポットである。
徒然草 第216段徒然草の石碑
◇◆◇ 鑁阿寺ばんなじデータ ◇◆◇
◆所在地 足利市家富町2220
◆電 話 0284-41-2627
◆入館料 無料
☆…ただし案内料を支払うと以下の案内がつきます。
◇本堂・一切経堂内拝観は15人以下一律6,000円(1人増すごとに400円)
◇日・祝日は一切経堂が開いています。1人400円
◆アクセス JR足利駅から0.7キロ、徒歩7分
東武足利市駅から1キロ、徒歩10分
市生活路線バス(やまなみ号 せせらぎ号) 通2丁目下車、徒歩5分
市生活路線バス(せせらぎ号)  大日西門下車
佐野市営バス  大日西門下車
◆駐車場 足利学校東駐車場(太平記館) 無料
※足利市公式ホームページより鑁阿寺ばんなじデータ引用
☆2005年8月1日 第4回紹介 「鑁阿寺」ばんなじ
←BACK! ログアウト! NEXT!→